「チョット、サムイデスネ」
海外旅行は苦手だ。
興味は大ありだけれど、日本語以外でうまくコミュニケーションが取れないことにストレスを感じるのだ。
そんな私を慮って、SNSさんは英会話教室の情報を次々と提示してくれる。
ありがとう、どれも魅力的
あぁ、英語が話せるようになりたい。。
がしかし
頑張ってお試しまでは手を延ばしても、そこから先へ進むことのないまま月日が過ぎていく。
そして、次の渡航予定が迫る。
またちっとも進歩できなかった。。
そもそも、海外というアウェーで英語を使うのはハードルが高すぎる。
日本でならどうだ⁈
日本で英語を話すとしたら、それはきっと私が外国人に何かを教えてあげる形になるはずだ。
不得手な言語なら、知らないことを教えてもらうよりも、知っていることを伝える方が簡単なはず。
よし、日本で外国人とコミュニケーションを取ってみよう。
街を歩けば、スマホ片手にキョロキョロしている外国人がいくらでもいる。
……………
ここは日本だ、大丈夫
海外で困っているときに声をかけてもらったら嬉しいよね
うん、例え問題が解決しなくたって嬉しい
じゃあさ、ほら
いやでも、さ、、、
……………
スマホキョロキョロな外国人とではなく、セルフオドオドな自分との会話ばかりが盛り上がり、再三にわたって機会を逃し続けている。
あぁ、私の方が有利なのに。。
(勝ち負けなの⁈)
外国人を見かけるたびに、話しかけるチャンスはないかとジッと様子を伺っている。
いや、待てよ
コミュニケーションってもっと気軽にするものだ。
こんなガチガチに気合いの入った人に声をかけられたら、きっと身構えてしまう。
なにか売りつけられるのか⁈
とでも疑われそうなほどに不自然な気合いが、私から立ち昇っていることだろう。。
あぁ無理だ
外国人との会話によるコミュニケーションは国内でも諦めるべきか
宿泊している都内のホテルで、すれ違う外国人と目と目で挨拶ができただけで嬉しいと感じていた。
ところが、
早朝のウォーキングから戻ったエレベーターの中で、1人の外国人に声をかけられた。
「チョット、サムイデスネ」
日本語がお上手ですねと言うと「サンジュウネンマエ ニホンニ スンデタ」とのこと。
現在の住まいを聞き、そちらの方が寒いでしょうと言うと、とても寒いけれど自分は寒いのが好きなのだ、と言う。
寒さのどんな感覚が好きなのかと聞くと、頭を指さした。
暖かい場所はダラーっとしてしまうのが好きじゃない、とジェスチャーも混えて伝えてくれた。
「暖かいところは何も考えなくても生きていきやすいけど、寒いところでは頭を使って考えないと生きていけないですもんね」
「Yeah, ソウナンデス!」
エレベーターが12階まで上がる、ほんの僅かな時間で、これだけの会話をした。
別れ際に「ドウモ」と言われたのに「Have a nice trip」的な気の利いたことが言えなかったのは悔やまれるけれど、なんと、外国人とコミュニケーションが取れたのだ!
そして、今更ながら
「私の願望は外国人ともコミュニケーションが取れることであり、英語が話せるようになることではない」
のだと気が付いた。
と言うことは、
と言うことは、、、
私が英語を学ばなくても、外国人が日本語を話してくれたら良いんだ。
じゃあ、
じゃあ、、、
世界中の人が日本語を話してくれたら良いんじゃないの⁉️
無茶苦茶な発想だけれど、なんだか光がさした気がした。
さて、
① 世界中の人が日本語を話してくれる
② 言葉を発すると自動的に翻訳されて、世界中の人が母国語のままで、なんのストレスもなくコミュニケーションが取れるようになる
③ 私が英語を習得する
どの未来を目指すべきか。。
はたまた、④という選択肢もあるのだろうか。
言葉と日本語が大好きだけれど、
その枠を超えたコミュニケーションで、世界中の人と繋がれたらいいな
こんなものは世の中にありふれた願望なのだろうけれど、自分のものとして出会えたアハ体験的な嬉しさは格別のものだった。
考えるって楽しい
体験するのも楽しい
気づくって、自分にトキメく、発見だ。
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