アマゾンに、”今”にしか生きていないピダハン族という部族がいるらしい。
彼らの言語には、過去形と未来形がない。
言葉がない以上、それを定義すること、考えることができないわけで、
常に、今しかない。
それって、、、どんな感じなんだろう。
彼らは、幸福度が非常に高いそうだ。
過去の後悔や未来への不安を持ち合わせていない。
わかりやすく言うと、幼い子供のような感じだろうか。
子供たちの底知れぬエネルギーに、大人が先に音を上げてしまうことがよくあるが、体力的には大人の方が強いはず。子供たちが圧倒的にパワフルなのは、足枷となる過去や未来への思考がなく、今に全集中しているからだ。
年を重ねることは、とても素敵なことだと年々感じている。
知識と経験が増え、どんどんこの世の面白さが見えてきた。
けれど時に、経験と情報に足を引っ張られることがある。
今のことだけを考えていられたら、どんなに心も体も軽いだろうか。
今しかないのであれば、今、一番やりたいことをする。
今しかないのであれば、今、目の前の事実をそのまんま見ることができる。
今しかないのであれば、もっと素直に気持ちを伝え合えるのではないだろうか。
あの時、あんな風に言ったくせに
あの時、あんなことをしたくせに
そうやって、今、目の前の人の言動をそのまんま受け取れないことがある。
もし、それがない世界だとしたら。
最高じゃないか!
毎日生まれ変わることができる。
毎日が新鮮で
毎日が可能性の塊だ
ところで
週末、遠方から友人が来て、予約した薬膳鍋を食べに行く約束があり、とても楽しみにしている。
未来の言葉を持たないピダハン族には、こんな約束もないのだろうか。。
約束へのワクワク感もない代わりに、不安や、予想が外れたガッカリ感もない、ということだろうか。
どちらが幸せなのだろう。。
「精神的に救われる必要がない」と、キリスト教布教が叶わなかったというピダハン族。
彼らの使う独特な言語に、幸せに生きるヒントがある。
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