たべもの作家 田頭和みさんのお料理は
「満腹ではなく満足を味わって欲しい」と、
丁寧に丁寧に作られていて
優しくて力強くて、素朴で美しい。
満腹ではなく、満足
という言葉を聞いて思い出したのが
数年前の恐怖体験。
いや、正確には
なぜか恐怖ではなく
すんなりと受け入れてしまった不思議体験だった。
食べたら眠くなると分かっているのに、
”もっと勉強しなければならない”という焦燥感から
口を動かしている間だけは起きていられるという理由で、
夜中PCに向かいながら、手当たり次第にモノを口に入れていた時期があった。
散々食べた挙句、結局は眠気に勝てずに寝てしまうのだが、
さっさと諦めて寝てしまうということがどうしてもできず
毎晩、貪るように食べ続けていた。
ある晩、
(あぁ、今晩もやってしまった)
と、自分にガッカリしながらキッチンに向い
ふと目の前の窓越しに映る自分の顔を見て、ギョッとした。
そこには、皺くちゃの、ヨーダにそっくりな”餓鬼”がいた。
私の顔なのだけれど、それは紛れもない餓鬼だった。
※餓鬼=仏教の餓鬼道に堕ち、常に飢え、強欲に貪る者
その幻影を、私は
”満腹を追い求めて貪り続けると、餓鬼になってしまう”
との警告だと、冷静に見つめた。
満腹は一瞬の喜びしか与えてくれず、時になぜか後悔の念もセットで受け取ることになる。
食べ放題の店を出るときの、アレ
量を求める満腹という刺激には、キリがない。
一方の満足にだって、もちろん天井はないのだけれど
もっと穏やかで温かい喜びを与えてくれる。
鰹節と出汁の違いのように、じんわりと心身の深いところで味わえるのが満足だ。
量を求める満腹
質を求める満足
これから広がる二極化とは、
満腹か満足か
どちらを求める世界なのかという違いのような、気がしている。

和みさんのお料理
小松菜を茹でただけ が何故かとてつもなく美味しい。
満足としか言いようのない、美しく淡く奥行きのある味わい。
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