「元気なあいだは放っておいて。ボケたらよろしくね〜。」
姑が、繰り返し言う。
いい加減にして欲しい…我慢の限界だった。
その頃、実父が認知症を伴うパーキンソン症状の難病にかかっていた。
姉は別居結婚を選び、実家にいて母と共に父を支えていた。
私は1歳の長女を週に1.2回保育園に預けて、ほんのわずかな時間、手伝いに行っていた。
精神科医の友人曰く、
「おじちゃんは人気者になるタイプの患者さん」とのこと
認知症状に攻撃性や暗さがなく、みんなで笑いながら介護をしていた。
それでも、
親が認知症になるというのは、一言では言い表せない複雑な悲しさがある。
当然、姑は数年に渡る父の症状を知っていた。
それなのに、冒頭の言葉を何度も私に言う。
”認知症”と言い換えられて久しい、”ボケる”という言葉を使うことも、癇に障った。
いつものように、ふざけた調子で放たれた
「将来ボケて、思いっきり迷惑かけたるからな。」
という言葉には我慢ならず、
「悲しくなるので、そのボケるという言葉は使わないでもらえませんか?」
と言ってしまった。
その時には何も言い返されなかったが、後日、ものすごい剣幕で電話がかかってきた。
しょっちゅう母子喧嘩をする主人と、その時も大きな喧嘩をしたらしい。
ひとしきり、主人について文句を言い、
「大体、ボケるって言うなとか、そんな細かいことを言う頭のおかしな夫婦とは、もう付き合いたくない!」
と、電話を切られた。
頭の中で、試合終了のゴングのようなものが鳴った感覚がした。
夫は、「もう縁を切ってくれていい」と言った。
けれど私は、
近所に住むおばあちゃんと行き来のない状況を子供達に作りたくなかったし、
自分が悪い嫁になることも嫌だった。
考えた挙句、
「謝るわ」
と言うと、主人は
「そうしてくれるか、すまん」
と、珍しく素直に本音を言った。
私は、言い争いはほとんどしない家族の中で育った。
喧嘩はいつも、
(なんとなく、怒ってるな…)
と、お互いに牽制し合う冷戦。
感情を昂らせて気持ちを言葉でぶつけ合うことはなかった。
関西人特有の?ズカズカ踏み込んだ喋りをする私は、さぞかし言いたいことをストレートに言うのだろうと思われがちだが、口喧嘩には慣れておらず、強い口調で何か言われると、フリーズしてしまって言葉が出ない。
姑との関係修復に成功した後も、決して言いたいことをなんでも言ってきたわけではない。
けれど、実母よりも姑の方が、遠慮なくものが言える風通しの良さを感じてきた。
あれから15年
数年前から、姑に認知症状が出ている。
姑は、「息子家族が幸せなら、それでいい」と言って、結婚当初から私のやることには口出しをしなかった。
思い出せるのは、たった一度だけ
漬物の切り方を「この方が美味しい」と指示されたことがあるくらいだ。
大好きな漬物を雑に切ることだけは、我慢ならなかったのだと思う。
無関心とも思える距離の取り方にも戸惑うことが多かったけれど、その分私は、自由に私なりのペースで育児をし、家族を育ませてもらった。
例え喧嘩になっても、自分の気持ちをそのまま伝えることの清々しさも、教えてもらった。
できることはなんでも自分でしようとする自立した姿にも、敬意を表している。
ただ、
認知症を発症した姑を見ていると、言霊なのかなと思ってしまう。
冗談や、心配して繰り返し発する言葉が、呪いのようになって現実化することがあるのではないかと思う。
これからは、一緒に、明るい前向きな言葉だけを使っていきたいと、心から願う。
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